Hola, FelizYaYa(@feliza55)です。
スペインのダンスや恋愛事情に詳しく、プロのライターとして活躍し、個人ツアーガイドの仕事でも人気が高い
Feliz YaYaさんのブログ
私はアンダルシアに住み始めて今年でもう18年になります。
私が住んでいるのは、マラガから車で20分ほど海岸沿いを南下したフエンヒローラというリゾート都市です。
大都市であるマドリッドやバルセロナではなく、リゾート地を選び移住しました。
そのリゾート地の中でも、有名なマラガやミハスではなく「フエンヒローラ」を選びました。
移住した当初はスペイン人からも他の外国人からも「なぜフエンヒローラか?」とよく聞かれました。
遠い日本から異国の地、それも初めてのスペインというと皆一様に驚きます。
今回は少しプライベートな話も交えながら、フエンヒローラに住んでいる理由に対してお答えしていきます。
目次
「海外で暮らす」という事は、「夢の世界で暮らす」という事
まず、スペインに移住する事を決める以前に、「海外に住む」という事が私の幼い頃からの夢でした。
その夢が生まれたきっかけとしては、私が小学生の頃、母が当時、西洋的文化のセンスにあふれた超モダンな生活をしていた事が関係しています。
居間のテーブルには、アメリカの代表的な百貨店「シアーズ」の分厚いカタログを常に置いていて、小学校から帰ってくるといつもグレンミラーやナットキングコールといったジャズのレコードがかかっていたのです。
シアーズのカタログは「世界で二番目に読まれている本」「消費者の聖書」と呼ばれていた程、人気でした。
今でいう所の「イケアのカタログ」ですが、そういった百貨店のカタログにおける原点ともいわれています。
1908年のシアーズカタログを1968年に復刻したもの。家から服から銃、時計、ピアノ、カツラまで何でもあり。シアーズって今はどの街にもあるダサめの量販店なんだけど通販から始まったんだね。 pic.twitter.com/axSOiyJsb4
— たけのこ (@ngkngk) 2017年10月26日
1912年、アメリカの百貨店シアーズの通信販売カタログ、女性用ブラウスのページ。一部のカタログは、インターネット・アーカイブで閲覧できる。 https://t.co/dMrqXtxZ8l pic.twitter.com/ixEjCPdUAM
— 民族衣装bot (@Minzokubot) 2018年7月18日
シアーズのカタログを開けばそこは夢の世界、いつのまにか西洋は私の憧れになりました。
その頃の経験がきっかけで、「いつか自分は海外に住みたい」と思うようになりました。
理想の移住先を見つけるために、スペイン以外の国も多く訪れた
成長するにつれて日本での日常の生活に終われ、30代半ばで離婚してから再び海外への夢が頭をもたげてきました。
都営住宅で安い家賃で住んでいたこと、比較的休みが自由に取れるテレマの会社に勤めていたことを利用して、機会を作っては海外の移住先を決めるためにいろいろな国を訪れました。
フィリピン、ニューヨーク、ノルウェー、デンマーク、ハンガリー、ドイツなどですが、2000年に初めてスペインアンダルシアに来て、すっかりここが気にいってしまいました。
フエンヒローラを選んだ3つの理由
けっしてメジャーとはいえないこのフエンヒローラを選んだわけはいくつかあります。
利便性を優先しなかった
私は日本では東京生まれの東京育ちです。
東京は確かに便利で住みやすいところですが、同じような大きな都市には住みたくはありませんでした。
スペインでもマドリッドやバルセロナではまた環境も違っていたと思います。
でも、私にとって大都市はそれほど魅力に感じなかったのです。
車がなくても生活できる
私は車の運転はしないので、車がなくても生活しやすいところが第一条件でした。
フエンヒローラはマラガから近郊電車が出ていて終着駅だし、またスペイン国内の近隣都市へバスの発着点になっているとても便利なところです。
この近くの街でも車がないと住めないようなところもありますので、フエンヒローラは正しい選択だったといえます。
世界各国の人々と出会えるコスモポリタンな都市
※コスモポリタン=国境を越えて、全世界の人々が自分の仲間であると考える思想。
小さめのリゾート地でも「スペインのニューヨーク」といわれるほどの様々な人種が集う国際都市。
ヨーロッパはもとより世界中の観光客が訪れます。
世界各国の人々と出会える機会があり、「世界の中」にいる楽しさと喜びがあります。
日本ではなく、フエンヒローラを終の棲家にしたい
今は私の一人娘も8年前に日本から移住してきて、こちらで2人の子供を出産し、近くに住んでいます。
夢だった海外、それも海の近く、娘も二人の孫もそばに住んでいてこれ以上に望むことは何もありません。
私にとってスペインは第2の故郷です。
日本に一時帰国することはあってももう戻る気はありませんので、今私が気に入って住んでいるこのフエンヒローラを私の終の棲家にしたいと思っています。
思い描いていた夢の世界はフエンヒローラにあった
ヨーロッパの近隣諸国、イギリスや北欧からこちらに来ている人はここの気候が気に入ってという理由がほとんどです。
私の場合、気候はあまり重視していませんでした。
それよりもこの地での日本とは違う生活様式やゆっくりした時間の流れというような文化の在り方がとても気に入っています。
例えば、「Hasta mañana(アスタマニアーナ)」という言葉があります。
「また明日ね」というような意味なのですが、「今日じゃなくても明日すればいいじゃない」というニュアンスで、気が長くて大らかな人情を感じるアンダルシアらしい言葉です。
そんな大らかな言葉を交わし合う人々との暮らし、それは幼き日にシアーズのカタログの中で夢見ていた世界。
ここフエンヒローラでの暮らしは、私がずっと「いつか」と思い続けていた暮らしなのです。