こんにちは、東エマです。
2011年からスペインに住んでいるインド中央政府公認のヨガインストラクターです。
ところで、皆さんはご家族と仲がいいですか?
そう聞かれると、複雑な顔をする方が多いのではないでしょうか。
また、本当に仲が良くても、仲が良い!と笑顔で返す方は少ないのではないでしょうか。
日本の文化「本音と建て前」があるので、自慢と取られてしまうようなことは言い辛かったりしますよね。
今回は私のスペイン在住体験を元に、
スペインにおける人間関係の「距離感」について取り上げてみたいと思います。
目次
スペイン人も本音と建て前を使い分けるのか?
早速、結論を申し上げますが、使い分けません。
そもそも、本音と建て前という文化そのものがありません。
聞かれたことを純粋な心で長々と話し、褒められたら素直に喜びます。
私は移住当初、そのシンプルさに度肝を抜かれました。
初対面でも本音で接してくれるのです。
最初は戸惑いましたが、今では、それがスペイン人なのだと文化を理解できるようになって、
このシンプルな人間関係の気持ち良さにどっぷり浸かっています。
スペインでは家族関係自体が「シンプルな人間関係の距離感」になっている
では、最初の人間関係である家族観はどうなっているのでしょうか。
スペイン人は「家族が全て」と思うほどに、家族を愛しています。
また、家族だけでなく、地元を愛しています。
たとえ地元を離れて暮らしていたとしても、常に地元を愛し、誇りに思っています。
同郷出身者とは仲良くなりやすく、ひとたび
「地元の名所名跡、郷土料理、あるいはお母さんの得意料理は?」
などと聞こうものなら、嬉々として延々と説明してくれます。
コミュニティに対する帰属意識が非常に強い民族で、その強さゆえに、ハッキリと愛と誇りを主張します。
だからこそ、「本音と建て前」を使う必要のない価値観が育っているのだと思います。
他にもスペイン人が強い愛情表現を持つことを示す、分かりやすい例があります。
スペイン男性は全員マザコン
「全員」というのはいくら何でも乱暴ですが、日本の感覚でいうと「ほぼ全員」マザコンということになるでしょう。
例えば、いい年をした女性が毎日のように実家(大抵近所)に顔を出し、母親と一緒に買い物に行ったりしています。
また、30代40代の男性も頻繁に母親と電話し、奥さんや恋人に
「ママがどうした、ママがこうした」
と話します。
スペイン女性もそれを聞いて「この男はマザコンか?」などとは思いません。
なぜならそれがスペインのスタンダードだから。
スペインではママ大好き、ママと仲良しの男性の方が普通で健康的なのです。
そして、そういった母親を大切にする男性の多くは基本的に男らしくて恋人や奥さんに優しく、根底に「女性は大切にするもの」という意識があるように思います。
母親との関係が病的に屈折している、あるいは異様に執着や依存があるといった日本人の私たちがイメージするところのいわゆる「マザコン男性」というのとは全く違います。
全員とは言いませんがスペイン男性の多くはそれほどシャイではないので、母親に対して愛情表現を惜しみませんし、どこでも大っぴらに「ママ、ママ」とやっています。
最初は何事かと思いましたが、何年もこの国に暮らしそういう男たちを観察していると、男性にとってこのような母親との関係こそが健全なのだと思うようになりました。
スペインの「ピロポ」文化が自己肯定感を育てる
ここまで、スペイン人のシンプルな人間関係の距離感とその根底にある強い家族愛について見てきました。
ですが、それでも、「本音と建て前」は存在しないのでしょうか。
なぜもう一度、それを取り上げるかといいますと、「建て前」とは相手を敬うための「お世辞」であるからです。
強い愛情と誇りを持つ人同士がぶつかり合ってしまう際に、相手を傷つけないために使われる「お世辞」。
その使い方そのものが、スペインと日本では大きく違っているので、日本でいう「お世辞」が存在しないのです。
まず、スペインの家庭では小さな頃から男の子は王子様のように、女の子はお姫様のように両親や祖父母から大切にされ、親類や近所の人にも何かと気にかけられて育ちます。
その大切とする育て方の一つに「ピロポ」という習慣があります。
これが日本語に置きかえるところの「お世辞」になります。
ですが、それよりは英語の
Compliment(褒め言葉)や
Flattering comment(賞賛の言葉)
のほうがニュアンスとして近いのです。
ピロポの一例として、一般的なところで
「¡Que Guapo!/Guapa! (グアポ)」
という褒め言葉があります。
男性に使われる「グアポ」は「ハンサム、かっこいい」
女性に対する「グアパ」は「きれいな、美しい」
という意味合いで使われます。
他にも
「¡Que Bonito!(ボニート)/Bonita!(ボニータ)」
という褒め言葉があります。
ボニート、ボニータも「かわいい」とか「愛らしい」という意味になります。
そして、スペインの子供達は家族をはじめ周りの大人たちから、このピロポを日常的に浴びながら育ちます。
普段からそのような何気ない周囲の大人からの褒め言葉や肯定的な波動を投げかけられることで、子供達は幼いながらに
「自分は大切にされる価値ある存在なのだ」
「自分はここにいていいのだ」
という安心を感じ、家族というコミュニティに対する帰属感が強くなるのだろうと思います。
日本では「他人に迷惑をかけてはいけない」という意識が非常に強く、公共交通機関などで赤ちゃんが泣いたり小さい子供が騒いでいると、母親は肩身が狭く感じたり、厳しく叱るなどしますよね。
周囲の反応も割にシビアですが、スペインではバスで幼児が大声で泣いていても母親は一切動じませんし周りも気にしません。
これには賛否両論あるようですが、スペインは基本的に子供に甘く否定的な言葉を使って厳しく叱る風景をあまりみかけません。
それどころか、しょっちゅう
「Que niño mås guapo/guapa(本当に可愛い子だ)」
などと褒められます。
そういう子供時代を過ごすことが背景にあるからだと思いますがスペイン人(特に女性)は容姿に関わらず非常に堂々としているのが印象的です。
多少ぽっちゃりしていようが、歯並びが悪かろうが、大抵の女の子は小さな頃から自信に満ちた態度と顔つきで通りを歩きます。
周囲の大人からの愛情あるピロポにも照れることもなく、さらりと笑顔を返すのです。
謙遜が美徳、として育った私たち日本人は「きれいね」と褒められたら「いえいえ、そんなことは」と恥ずかしそうに首を振りますが、これをスペイン(というか日本以外のすべての国で)でやると不思議そうな顔をされるでしょう。
スペインの家族の在り方に学ぶ、家庭問題との向き合い方とは
家族、特にスペインのように密接な関係においては、いつも何かしらの問題や揉め事が親類を含めた家族間で起きます。
「やっぱり問題が多いじゃないか」と日本人的には思ってしまいがちですが、大事なことは問題が起こる事ではありません。
主張を持った者同士がぶつかり合って、問題になることは当然のことです。
大事なことは、その当然の先にお互いが納得できる折り合いを作りあえるかどうかではないでしょうか。
スペインの家族問題では、家族の中心である「お母さん」が特定の誰かに肩入れをせず、常に平等で公平な姿勢をつらぬきます。
問題に対してもどしっとおおらかに対処することで、問題はあまり深刻な状態に発展しません。
家族の揉め事の一つ、家族の歴史の一コマとして片付いていくのだろうと思います。
そんなスペインの家族事情も10年ほど前に比べると少し複雑になってきているようです。
ですが、母は強く、父は男らしく女性を(妻を)大切にし、細かいことはごちゃごちゃ言わない、そして息子も娘もそんな頼れる両親を誇りに思う…
昭和51年生まれの私は、このようなスペインの家族の在り方に
「そういえば昔の日本もこんなだったな」
と、古き良き子供時代の思い出が蘇るのです。
そこに確かに、日本への「愛と誇り」を感じているのです。