こんにちは、FelizYaYaです。
スペインのアンダルシアにおける生活も、もう17年目を迎え、今こちらでの私の職業はウエブライターと指圧マッサージ師です。
今回は日本でも仕事をしたことがなかった指圧マッサージを始めたきっかけをお話したいと思います。
「人生次の曲がり角には何が待っているかわからない」と言いますが、私がこちらでマッサージを始めるに至ったきっかけもそんな曲がり角で起こりました。
私が歩んできた波乱万丈の人生の中でも1、2を争う驚異的な出来事、聞いてください。
1.急襲する暴力
以前の記事で、こちらでのマッサージに関してのエピソードはご紹介していますが、
【前回記事:スペインでマッサージ師をしていて驚いたこと】
マッサージを始める前、私はMarbellaの先にある高級住宅街で営業している日本レストランでウエイトレスをしていました。
経営者は30代のインド人夫妻で、マネージャーは40代の北欧女性、調理師は50代の日本人男性でした。
事件が起こったのは、お給料をもらった6月の夜。
レストランから、当時イギリス人の男友達とシェアしていたアパートまでは徒歩数分で、深夜0時過ぎレストランを出たばかりの住宅街を歩き始めたときです。
音もなく忍び寄ってきた男に肩から下げていたショルダーバッグを引っ手繰られたのです。
あまりに突然のことで一瞬何が起こったのかわかりませんでした。
でもバッグを取られたことがわかった私は猛烈に抵抗しました。
その男は身長180cm以上のアラブ系男性で、抵抗したときに胸の当たりを(たぶん指輪か何か。刃物でなくて幸い)傷つけられて出血しました。
そんな大男に到底かなうわけはなく、男はバッグを持ってそのまま逃げていきました。
2.全部初めての体験
後にも先にも60数年の人生で初めてのアタックです。
私は恥も外聞もなく、大泣きに泣きながらレストランまで戻りました。
オーナー夫妻は友人カップルと談笑中でしたが、すぐに救急車を呼んでくれました。
その時一番暖かく介抱してくれたのがその友人カップルの女性でした。
対して、日頃から「この女性格悪いんじゃない」と思っていたデンマーク人マネージャー女性は、最も冷たい応対でした。
何か大きな出来事が起こったときにその人の本性ってわかるのだなと、泣きながらも感じたのを覚えています。
日本人調理師はそのときはいませんでした。
ほどなく救急車が来て、人生で初めての救急車、しかもスペインでの乗車体験です。
そのまま一番近い病院「Hospital Costa Del Sol」へ運ばれて一晩入院。
幸い、傷はそれほど深くなくて、数針縫うだけの治療で翌日には退院が許可されました。
3.金を奪われ、職も奪われたけれど
ショルダーバッグごと盗まれたので、被害はその日もらったお給料と化粧道具一式と部屋の鍵で、幸い携帯は服のポケットに入れていたのでセーフでした。
何よりお金を取られたのは痛かったけれど、電話で事情を話したらドイツ人の親しい友人男性がとりあえずと言って600€送ってくれたのです。
日本にいた成人している一人娘からは「飛行機代を送るからすぐ帰っておいでよ」といわれましたが、「50過ぎて自分が選んで来たところ、夏まで何とか頑張ってみて、8月過ぎても状況が好転しなかったらそのときは帰国する」と返事をしました。
1週間休んで傷はよくなりましたが、レストランに復帰はできませんでした。
元々50過ぎてからの異国での人生、たとえ日本レストランとはいえ、ウェイトレスとして働いている事は、「これは決して自分のやりたいことではない」と思っていました。
ただスペイン生活を初めて、当初の目論見は頓挫していました。
最初の計画では、外国人に人気のある和風小物や着物ドレスなどの土産物店を開きたかったのですが、日本にいた出資をしてくれるはずだったスポンサーの急死で立ち消えになりました。
そうした背景もあり、当時は日本レストランで働くしかない状況だったのです。
ですから、アタックされてお金も仕事も奪われたのはショックでしたけれど、もしかしたらこれは私の人生の方向転換のときなのかもしれないと何となく感じていました。
4.奪われたものは「全て」ではない
いずれにしても自分で何か食べていく方法を見つけなければならず、そのとき以前から何人かに「日本のマッサージをやればいい」と言われていたのを思い出して、思い切って始めることにしたのです。
幸いシェアしていた友人男性はマッサージが好きで経験者だったので、彼の身体を借りて練習し新聞に広告を出して始めたのです。
その後の経過は以前の記事でご紹介した通りです。
5.災い転じて福となしていく生き方
こうして振りかえってみると、もしこのアタック事件がなかったら、私はきっとマッサージなどしていなくて何か他のことをしていたはずです。
そして結局うまくいかずに帰国していたかもしれません。
「コスタ・デル・ソルで食べていくことができたら、世界中どこでも食べていける」といわれているほど楽ではない土地ですから。
そんな場所でもこのマッサージのおかげで、十数年ちゃんと食べていくこともできて1人でやってこれたのですから、私はあのとき私を襲ってくれた大男には心から感謝しているのです。